2017.3.29 吉田俊哉会長挨拶

 

越谷北ロータリークラブの皆さん、今日はけっこうな席にお招きいただき、ありがとうございます。

わがクラブも、会員全員が被災し、避難生活に入って6年が過ぎました。

震災前50名を超えていた会員数も、30数名となり、何とかクラブとしての命脈をつないでいる、というところです。越谷北をはじめ、友好クラブの皆さんの支援、ロータリー全体の支援がなければ、現在までのクラブの存続は非常に難しかったと思います。あらためてお礼を申し上げます。

明後日、3月31日をもちまして、浪江町の中心市街地等の避難指示が解除されます。しかし、生活はもとより事業でさえ、まだ元の浪江・双葉・大熊を中心とする態勢に戻すのは容易ではありません。何百も必要な復興までのステップの一つが進んだだけのことにすぎません。これから、まだまだ地域住民にとって大変な状況は続いて行きます。もちろん我々もその一員であり、皆さんの支援を頼りに復興に取り組んでまいります。

さて、大方の日本人が「花見」と言われて連想するのは、今日お招きをいただいたここ上野の山、あるいは西日本の方なら吉野山か、と思います。

しかし、花と言われて心に浮かぶのは、誰にとっても故郷の桜ではないでしょうか。

わが浪江町にも「泉田川堤」という花の名所があります。何千本という大景観ではありません。数十本の控えめな桜の景色です。商工会青年部OBの皆さんが中心になって、毎年丁寧に手入れをしてくださっていた、その桜並木の下で、我々は春を楽しんでいたのです。

避難生活2年目の春、東京で親しい仲間と酒を呑んでいたときに、ふと歌ができました。

「ふるさとの花を想ひて酌み交わすこの美酒(うまざけ)の苦くもあるかな」どんな良い酒を呑んでいても、どんな見事な景観を楽しんでいても、心の底

に、故郷を追われているという苦い思いが、澱のように淀んでいます。

けれども、そういう苦い思いを忘れるのではなく、直視し乗り越えたうえで

我々は復興に取り組んで行かなければならない、と思うのです。

今日の宴を楽しんで、そのための心の原動力を蓄えたいと思います。

 

※数日後、このあいさつの内容を、歌にしてみました。

「千本の上野の山の花よりも故郷(ふるさと)のあの川辺の花を」